過去の私自身がそうであったように、事業の活力が崩れてくると、見えていなければいけないものが見えなくなってしまうことが多いものです。
とくに、問題に押しつぶされそうになったり行き詰まったときにこそ、冷静になり周囲の人の言葉に耳を傾け、出来るだけ客観的に自分を見つめていくことによって次々と打つべき手が見つけて、新たな活路が開けていくものです。
ところが、苦境にぶつかり絶望的になる人に限って、今までの自分の経験値だけで判断し、周囲の人からの言葉には耳を傾けず、何を提案されても「それはできない!だって…」「そんなコトしたことない!だって…」と、出来ない、したくない理由をツラツラと並べ立てて、何時間もかけて話し合いをしても結局は何の結論も出ないままになっています。
ひどい場合は、自分の思い通りに行かないことを、それまでに関係してきた人や相談した相手に対して、自分を理解できない頼りにならないヤツとして、ミソクソに悪たれを言い逆恨みさえする人もいます。
残念なことに、そんな人は、明るい兆しがあることを周囲の人が教えてくれているのだとは思えないのでしょうね。
年末が近づくと、電車が「人身事故のため不通」になったということを聞くと、「もしや?!思い余った人か?」と、問題を解決できまま事務所を出て行った人のことを思い浮かべてしまいます。
死ぬ勇気があったら…と、思ってしまうのは、自ら命を絶った人に対する伝えきれない何かがあったか、主訴を聴いてあげられなかったのかを悩み苦しむところです。
先週、友人のご主人がご相談に来られて、お会いした翌日に同じようにして亡くなられました。その一報を耳にしたときから、筆舌には尽くしがたい動揺が今でも残っていて消えません。
残されたご家族のことを思うと、さらに胸が痛みます。どうしてさしあげれば死なないで済んだのだろうか…。
このことは逐語記録を起こして自省材料とすることが大切なのかも知れません。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌。
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