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Vol.50
クライアントとの葛藤の日々を乗り切る
 

 


●クライアントとの葛藤の日々を乗り切る


 
 

リスク・カウンセラーという仕事の大半が、問題が起きてしまってから慌ててやってくる方々からのご相談となっています。悲しいことながら、問題が起きてからでないと行動を起こせないという人間の悲しい習性なのでしょうか…。
  問題がドロドロになっていたり…、精神的にボロボロであったり…、肉体的にヘロヘロになっていて、中には…「この人と会ってダメなら…自ら命を絶つことさえ考えていた…」と、相談者と一緒になって問題の解決ができ…ホッとしたときにそんな話を聞かされると「良かった!」と思う反面、自分がいう言葉の責任の重大さにゾーっとしたりします。

  本来リスク・カウンセラーのあるべき姿は…、いや、そうであってほしいと思っている姿は…、「問題が起きる前に何をしておくか…」「問題が起きないようにしておくためにはどのようにしておいたらいいのか…」を、たくさんの人々に知っていただく“啓発活動”ではないかと考えています。
  そうすることによって、万一、問題が起きたとしても冷静の問題に対処することができるでしょうし、思い余って…自ら命を絶つなどと考える人は、いなくなるのではないでしょうか。
 
  ですから、相談にいらして問題が解決した方にはお願いしていることがあります。
  私がそうであったように…自分の中の辛かった出来事や自ら行動して問題を解決してきた体験を持ったということは、同じ状況に立たされている人のことが分かるのですから…「問題は必ず解決できますよ…!」「一人で悩んでいないで相談するといいですよ…」というように、ひと言の優しく力強い言葉を掛けてあげてください…」といっています。
  それが、自分なりにトラブルを抱えた人々と接しても精神的に弱らないでいられる「神様は困った人の姿で現れる」という言葉につながっているからです。


 

●カウンセラーだって鬱になる瞬間が…

 
 

  …とは云いながらも、カウンセラーだって鬱になる瞬間があります。
  「リスク・カウンセラーって大変な仕事ですねぇ〜」というねぎらいの言葉を掛けていただくことがありますが、自分でも「本当に大変だ…」と思うときもあれば、「全然平気…」と平然としているときもあります。

  その違いはと云えば…、自分の心身の疲れがどのような状況にあるかによって大きく変わっているのだと思います。だって…「リスク・カウンセラー」だって人間ですから、“鬱状態”になることもあれば、“躁状態”になることだってありますから「“鬱状態”に入っているな…」と感じたときは、自分で見つけたいくつかの方法によって対処するようにしています。
@動物と接して話しかけるようにして触れたり…
A街に出かけて草花や町並みの写真を撮ったり…
B事務所の応接机に花を飾ってみたり…
C書店に入って気になる本を購入したり…
D“丸善”に行って好きな文具売り場を見て回る…
E“ビックサイト”に行き展示会を見に行って異業 種の世界に触れること…
F仕事をしないで…ボーッとしている。
…などなど、自分なりの鬱から脱出する方法として気がついたら実践していた…ということもあります。
  以前は“カラオケ”の店に行って好きな歌を思いっきり声を出して歌うことによって、かなりスッキリしていたような気がしますが、どうも…この年になると…さすがに“カラオケ”に…というわけにもいかず、自動車の運転をしているときにCDから流れてくる音楽に合わせて歌っていたりもしています。

  実をいうと、自分が“鬱状態”にならない特効薬があることを知っています。その特効薬というのは、
病院でいただくような強い薬などではありません。

  それは…立ち直って元気になって社会で活躍しているクライアントさんからの“電話”や“メール”や“お手紙”だったりします。
  「細々ながら元気にやっています…」などのお手紙には、本当に感動します。大変だったときの状況とその方の顔を思い浮かべながら「出会えて良かった…!」と、胸のあたりに熱いものを感じます。
  人間って…感動することによって、辛いものを吹き飛ばしてしますのですね。少々の“鬱症状”は感動することで直してしまうことが分かりました。


  ●「ありがとう!」ことばの感動に触れて…

 
 

  1万回の“ありがとう”のことばを言い続けると、自分の生き方の何かが変わるという本を読みました。
  以前の自分でしたら、本を読んで「そうなのか…」ということで終わってしまったと思います。でも今は違います。“ありがとう”の声を出して言い続けてみました。一人で自動車を運転しているときは絶好のチャンスです。
  “ありがとう”のことばを、ただ声を出して言っているうちに、次第にいろいろな人の顔が浮かんでくるようになりました。
  ただ懐かしいだけの人、お世話になった人、酷いことばを言われた人、悲しい思いをさせてしまった人、自分が傷つけてしまった人、大切なことを教えてくださった人、人、人…。千回、2千回、5千回と声に出しているうちに…自分がこの世に生まれてきたことの意味や、どのように死んでいくべきなのか…、いま何をしておくべきなのか…、今していることはこれで良いのだろうか…など、次から次へと数えあげられないほどの“なぜ”“どうする”という疑問が溢れてしまうと、生かされているコトへの感謝の気持ちで一杯になってしまいました。
  これまでに出会った人と、これから出会う人との関わりは、自分で切り拓いたものではなく、天の神様から与えられたもののような気がしてきました。
  だから…来る人を選ぶこともせず、去って行く人を追うこともせず、淡々とこの仕事を続けていきたいと考えられるような自分になってきました。