創業してから20年。
脱サラして輸入雑貨の販売会社を設立した社長は
中学時代の同級生でした。
親しい同級生だったので
毎月【RFCレポート】を送っていた読者のひとりでした。
ある時、
その友人から電話があり…
会社のことで相談したいことがあるので時間をとって欲しいとのことでした。
休日に事務所にやってきたのですが、
事務所に来る時には問題が分かるように資料を整理してきて欲しいと、
必要な資料をリストにして
FAXで送っておきましたが、
彼が持ってきたのは小さなメモ用紙に走り書きした程度のものでした。
5期分の決算書、
直近の試算表、
債務一覧表、
資金繰り表などの準備をしていません。
小さなメモ用紙に書いてあったのは、
返さなければならない街金融に対する金額だけで、
会社の全体像を確認できるものは一切ありません。
友人とはいえ…
この状態で相談されても具体的な話しなんかできません。
帳簿を整理しているという奥さんと一緒に、
前述の資料を準備して再度来るように約束して帰って貰いました。
会社の危機を相談するのに、
象のしっぽだけ見せて…
それで何とかして相談に乗って欲しいといわれても…無理です。
友人は、翌週になっても来ませんでした。
気になったのでこちらから電話すると…
「いま資料を整理しているから…」
ということでしたので
「整理しないでいいからそのまま宅急便で送るように…」
と言ってようやく資料が揃いました。
3日間かけて資料を整理し…
直近の試算表と資金繰り表の準備が整いました。
月次の損益は連続18ヶ月間マイナスが続いていました。
月次損失の累計は1000万円を超えていたので、
その資金をどこから調達してきたのかが一番の問題点です。
資料の準備ができたところで、
夫婦揃って事務所に来て貰いました。
借入と返済とを繰り返してきた経緯を
彼が書いていたメモ用紙と照合しても金額が一致しません。
信用金庫からの借入金は、
自宅が担保になっていることと、
社長個人、妻と妻の母親が連帯保証人になっていました。
売上が急減…
ますます資金繰りが苦しくなる。
すでに銀行からの借入ができなくなっていたので、
電柱に貼られている街の消費者金融のチラシがやけに目にとまり、
ふらふらと誘われるように街金融のドアを叩いたとのことでした。
18ヶ月も経常損失が続いているのに、
何でこれまで頑張ってきたのかという社長の行動が一番の疑問でした。
妻の父親が病で伏していることが大きな理由で、
自宅が母親との共有名義であるため、
もしも会社が破産になれば
預貯金の持ち合わせのない連帯保証人の母親の立場では、
自宅を処分するしか返済の方法が見あたらなかったから…
というのです。
だから…苦しいながらも借入を繰り返し、
返済を続けてさえいれば、
そのうち仕事が盛り返して返済できるようになるのではないかと
考えていたようでした。
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