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Vol.30
売上高が激減し商品在庫が2ヶ月分を超えた

     
  ●売上高が激減し商品在庫が2ヶ月分を超えた
 
 

横浜市郊外に事務所を持つ商社の社長が相談にやってきた。創立から10年経つという。
  商社だから、商品を仕入れて販売している。幸いなことに2年前までは殆ど在庫を持たないで営業してきた。いわゆる「受注・発注」のスタイルを貫いてきたという。販売先からの回収も、現金回収に徹してきた。だから…比較的少ない運転資金でやってこられたというのだ。
  取引先を開拓するにつれ、仕入れ先との取引量も増え、同じ商品を繰り返し発注するようになってきた。仕入れ先の部長から…「今月だけでもA商品の発注が1000個をを超えましたよ。A商品の発注量を纏めてくれたら20%も価格が下がりますよ…」というのだ。
  つまり在庫を持ったらどうか…という打診だった。
  顧客の情報によると、A商品に競合する他社の商品が安い見積金額で提出されているようなのだ。「価格競争に勝つためには在庫を持つこともやむなし…」と、借入融資枠を増額してもらように折衝し、とうとう在庫を持つことになった。
  初めのうちは在庫の回転も問題なく順調に推移しているかに見えた。ところが10ヶ月ほど経った頃から…受注量が大きく減少してきた。競合他社の商品が、更に廉価で販売されていることが分かった。大口取引先から受注していたA商品が他社商品に切り替わってしまった。

 「これはまずいぞ!」あわてて発注量を調整したが間に合わず、在庫量は売上金額の2ヶ月半分になってしまった。

 
     
  ●資金繰りに奔走する毎日の始まり…
 
 

 取引銀行に融資の申し込みをしたが、現状の財務状況では追加融資をすることは出来ないというのだ。
  金利が高いので出来れば借りたくなかったのだが…やむを得ずノンバンクに相談に行ってみた。とりあえずの資金繰りは何とか切り抜けることが出来た。
  しかし、短期の借入だったので毎月の返済額が大きかった。売上高が回復しないまま6ヶ月が過ぎ、毎月の返済に追われるようになってしまった。
  父から相続した不動産がある。遺言書によってその社長と妹の共有で相続した不動産なのだが、現在は妹がその建物に住み…老いた母を引き取って一緒に住んでいる。相続した不動産を担保に融資が受けられないものかと取引銀行に相談したことがあったが、画地の権利関係がキチンとしていないため担保物件としては不適当と言われてしまった。
  さらに、その画地には通路の部分に問題があった。敷地の通路部分に、叔父が住んでいる建物がかかっていて公道に出るための通路幅が1.5m位しかない。
  まさか…家を売却して欲しいと言えないし、老いた母の顔を見るとお金を貸して欲しいとも言えない。それでも、生命保険を解約したりして切り抜けていた。

 

 
  ●リスケジュールにより…利払いだけで勘弁を…  
 

 じっくりと話を聴き終えた。いよいよリスクカウンセラーの出番のようだ。幸いなことに、これまでの借入に対して自分以外の親族や友人などが連帯保証人になっている人は誰もいなかった。

 それならば…と、事業計画書をつくって金融機関に「リスケジュール」の交渉をしよう。「パソコンは出来ますか?」…と、社長に聞いてみた。「ワードは出来るけど…エクセルはよく分からない…」と言うことだった。それでは…と言うことで、社長に宿題を出した。ワードが出来るなら…と「@いま、まずかったな…と反省していること、A自分がこうなると良いのに…という希望すること、B今の仕事をどの様にすれば売上が上がると思うのか…」。ベタ打ちで良いから思いつくまま書いてもらうことにした。
  次の宿題は…、「表を作っておけば数字の入力だけなら出来るでしょ?」…と、言うことで10期分の決算書の数字を入力できるような「決算書推移表」と「売上計画書」のフォーマットを作成し添付メールで送信した。

 連帯保証人がいないから、思い切った対応が出来る。 入力された表から様々な資料を作り上げた。「元本弁済猶予のお願い」「事業計画書」「資金繰り表」「過去と計画のグラフ化資料」「取引先との新規受注の議事録」など1週間ですべての資料ができあがった。
  社長は慣れないパソコンに向かい、表にデータを入力しながら考えたという。「なぜ…今までこういう資料を作ろうとしなかったのだろう…。入力した表からいろんな事が見えてきた…」と、大いに反省したという。

 リスクカウンセラーが纏めたとはいえ、提出した資料は自分で入力して作った数字だ。金融機関に提出したときにも何を聞かれてもすべて答えられたと言っていた。 丁寧に頭を下げてお願いをしてきたとのことだ。

 「あとは…計画書通り…いや、計画書以上の数字を達成できるように頑張るだけです…。」と…笑顔いっぱいの自信ありげな言葉に安心して見送った。