『投げられたところで起きる小坊師かな』の言葉は、愛知専門尼僧堂の堂長の青山俊董氏が書かれた文章に見つけたものです。この言葉は説明するまでもなく、“起き上がり小坊師”がポンッと何処に投げても起き上がる様子が目に浮かびますが、どんな状況であろうとも文句を言わずに起き上がり、姿勢を正して受けて立つ様だと説明してあった。
更に「失敗が人間をダメにするのではなく、失敗したことにこだわる心が人間を駄目にする…」という言葉には、事業の中で繰り返し失敗しても決して挫けない小規模企業の社長たちの姿が目に浮かびます。
「企業再生はどうすれば出来ますか?」という質問を受けたとき、「経営者自身が、再起や再生に備えて何を備え持っているのかに掛かっていますよ……」と応えています。
失敗して立ち上がろうとするとき、あれやこれやと周囲の人に無理な条件を出して、それが整わなければ再起できないというのは、失敗の原因を他人のセイにしたり、危機に対しての備えを持たずに経営に当たってきた証拠です。
再起できる経営者は、失敗して預貯金を失ったとしても、本人をオーラのように取り巻く有形・無形の資産を密かに持っているのです。
それらは、知恵、知識、技能、技術、人脈、信用、情報力、人間力、包容力、人間的暖かさ、説得力、そして情熱に溢れているもので、揺るぎのない強い信念をビリビリと感じ取ることが出来ます。
◆目に見えない真似られない財産を狙われ…
80歳にならんとする老齢の経営者は、人には見えない細菌培養に関する独自の技術を持っている。
温度、湿度、季候、周辺環境などによって適宜調整をしながら特殊な菌の培養をしているのだという。生き物相手の仕事だからと言って、寝る時間も惜しいと工場に泊まり込み疲れを知らない。
その調整能力は、子供にも孫にも伝えられずに今日まで数十年が経っているのですが、その伝えられないワケは、経営者の身体全体がセンサーのようになって喚起の培養環境の調整を行っているというのだから信じ難いが真実なのです。
その経営者にとって、一番の障害は自身の高齢化ではないかと思い、子孫への直伝したい情報を数値化することを進めているのだが、なかなか決断に踏み切れないでいますが、やがて時間の問題ではないかと思って静観しています。
しかし、その経営者の夢は大きく、人に話さないではいられないし、話しに関心を持って接近してくる人に対する防御心がないから、目に見えないものを如何にして我が物にしようかと狙って接近してくる魑魅魍魎に振り回されていることが何よりも心配なことです。
◆認められる喜びとビジネス化の狭間で…
密かに蓄積してきた知識や技術を認めてくれる人がいることは、どんな経営者であってもやはり嬉しい。
家族や経営者を知る周囲の人々は、固有の知識や技術をビジネスの将来に向けた成果物の種として適正に評価してくれるパートナーと組んでほしいと見守っていたとしても、ビジネスのテーブルに乗せるには、それなりの実証できる数値が必要になるしビジネスとしての成果物の分配割合もきちんと契約書に残さなければならないのだが、なかなかそれが出来にくい。
弁護士、弁理士、コンサルタントが取り持つ縁によって見えにくかった体感によるデーターが数値化され、企業として再起できれば家族を守ることが十分に可能になるのです。
リスク・カウンセラーとして、小規模企業経営者が最も苦手とするコンプライアンスを維持しつつ、家族には見えなかった経営者の夢をビジネスとして具現化し、企業再生への道を拓くことしっかり見守りつつお手伝いしたいものと考えています。
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