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Vol.109

 
 

●辛い体験は…同じ色の痛みを感じるセンサーに!

 政権が代わり“アベノミクス”の言葉は円安を生み出し、株高で賑わう一方、『金融円滑化法適用廃止』により資金繰りが辛くなる中小零細企業には、まだまだ景気回復のバラ色の空気は届いていません。

 むしろ、金利、ライフライン、原材料などの高騰に戸惑い警戒感が増すばかりであって、なかなか一歩を踏み出せないで、暗い灰色が幾分明るみを帯びてきた程度の状況の中で、金利上昇の傾向が見えてきたこれからの消費者マインドの変化を模索しているように思えます。

 ブラックマンデー、バブル経済の崩壊を体験し、リーマンショックや東日本大震災の経済ショックに真剣に取り組み切り、幾多の経営危機を切り抜けて経営者は、掛け替えのない痛みと自信を持っていることでしょう。

 その人の掛け替えのない辛かった体験は、その人なりの『心眼の色』として生涯持ち続けることになると考えられます。

 その『心眼の色』は“同じ色の痛み”や“同じ色の過ち”を感じ取ることが出来る『色センサー』が身についているはずなのです。

 もしも目の前に“同じ色の痛み”で苦しんでいる人が居れば「怖がらないでいい・・・・」と、自らの体験を語り手を差し伸べ、“同じ色の過ち”をしようとしている人が居れば「止めた方がいい・・・・」と自分が助けられて現在があることを語り、“同じ色の光の輪”を広げることによって、“同じ色の痛み”を最小限に抑えることが出来、“同じ色の過ち”を制止できるものと信じています。

●感じて感じぬふり…見て見ぬふり…それってあり?

 “傍観者”と言う言葉がありますが、私が一番嫌いな言葉なのですが、目の前の起きている事態に疑問を感じたり、「何かが違うぞ!!」と思ったときに、自分がそのことに「門外漢」であるというときには、立ち往生したり、その道に通じる人を探し回ったりしている自分に空しいものを感じます。
 
 集団心理の面からとらえた“傍観者”は、

・誰もが何もしないのだから緊急な事態ではな いのだろう…
・皆と同じことをしていれば非難されないし責 任も及ばない
・関わった行為の結果に周囲からマイナス評価 を受けるかも知れないという恐れ…

 というように、事件を目の前にしても率先して行動を起こさない状況は、しばしば見かけていることでもあり、時には人道的にあってはならない行動と非難される場合もあります。

  「感じて感じないふり」は、リスク管理の視点で捉えると『感じる=兆し=リスクの芽』という将来重要な問題に拡大するであろうと考えられる事象を見逃している罪深い行為であるかも知れません。

 「見て見ぬふり」は、すでに起きている問題を放置していることで、重要な事態になると容易に予測がつくことで、その行為は、後になって卑劣な傍観者の行動と非難されかねないことです。

 顧問先の経営者の行動についても、毎月定期訪問している担当者の“観察力”や、豊富な経験を持つ所長の“予見力”があれば『感じて感じぬふり…見て見ぬふり』は到底あり得ないことです。

 例え同じ体験や同じ心眼の色を持たなかったとしても、「士業」のその道のプロであるならば、すべての事象を『クリアなる心眼』をもって捉えられる脳力が有るはずだから、経営者からの信頼関係は深まることになるでしょう。

 本号の一面で記述した「セカンドオピニオン」として多くの経営者から期待されるような盤石な事務所となる必須条件で、『感じて感じぬふり…見て見ぬふり』は絶対にしないことなのではないでしょうか?