Vol.9 ゆく河の流れは絶えずして、 しかも、もとの水にあらず…
     
  「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず…  
  産業革命で蒸気機関車が発明されて240年、電話の元祖・モールス通信が発明されて170年、白熱電球が130年足らず。世の中は宇宙科学、IT産業へと現代人にとって大きな変化を遂げてきた中で、その恩恵の中で快適に生活できたし、努力すれば未来に向かってより良い方向に進むことが確信できたことも事実です。 しかし、この数年間の変化は何だろう。新聞報道や放送ニュースでも毎日さまざまな新しい出来事を知る。つい1週間前の出来事さえも忘れてしまいそうにめまぐるしく月日が過ぎる。
私の事務所へも多くの方が訪ねてこられる。
どちらかと云えば中小企業の中でも、小規模企業や個人事業主の方が多い。来社される方々の相談の内容もさまざまだ。社長たちは銀行の倒産をはじめとする大企業の倒産やコンピュータネットワークのIT産業のめまぐるしい変化にたじろぎ、この数年の日本経済の著しい変化に、ただ唖然として驚き見ているしかないほどに自分達が取り残されてしまっているようだと表現していた。
そうした相談者は、今更、バブル前の状態に戻ることができないことは分かってはいても釈然としない。だって、信頼していた銀行からのすすめで渋々ながら決断した不動産投資だったのに……。悪いようにはしないから…。社長の決断で家族の皆さんが将来豊かになれるから…。確かに一時は預金通帳にも驚くほどの預金残高があった。行ったこともないような豪華な店で食事をしたこともあった。
まさに、うたかたの夢として消えてしまった思い出ばかりとなってしまったことが今でも悔やまれるという。
今から、自分がいくら働いても返済できないような大きな債務を抱えたまま、ただ呆然と立ちすくんでいるような状況だ。
遅ればせながら、子供や孫たちにだけは自分が引き起こした債務負担の責任が行かないように食い止めておかなければ死んでも死にきれないと訴えられる方が大半だ。
 
     
  清貧の時代に耐えてきた人の言葉は重い  
  数百万円、数千万円、数億円、数十億円と債務金額の精神的な重さは、その債務者が置かれた立場によって大きく異なる。
それぞれに家族構成、家族の健康状態、保有資産の形態や所在、債務内容、債権者の種類などが違うわけだから当然のことだ。
リスクカウンセーとしては、それらの一人ひとりの異なる事情を十分に理解した上で対応しなければならないところだ。
相談者の家に訪問して、それが豪邸であればまだしも、老夫婦が小さな家でひっそりと生活している場合などは心が痛むものである。 特にご本人の責任ではなく、事業に失敗した息子が銀行融資を受けた際の連帯保証人になっているような場合だ。老夫婦が競売で明け渡さなければならない日の為に、ボツボツと押し入れやタンスの中の荷物整理をして様子は見るに堪えないほど悲しくなる。「反対を押し切って始めた事業に、両親まで巻き添えにするな・・・・!」と、その馬鹿息子を怒鳴りつけてやりたい気持ちだ。
聞けば、戦後まもなく東京へ出てきてどうにか生活の目処が立ち、やがて結婚し、この家を建てたのだという。今からフルタイムで働けるようなところはないけれど、週三回の掃除の仕事を見つけてきたという。年金と少々の収入があれば何とかなる…と云いながら、残り少なくなった湯飲み茶碗にお茶を注ぎ足してくださる。 「まぁ〜、自分達が育てた子供がやったことですから……」と。その淡々とした老夫婦の言葉には…私にはその場で返せる言葉が見つからなかった。

リスクカウンセラーとして相談を受けた中で、最も腹立たしく思い、忘れられない悲しいクライアントの言葉がある。「オヤジが高額保証の生命保険に入ってから、毎月の保険料の支払いが高額で大変だけど、オヤジが亡くなって保険金が入れば、債務は一気にゼロになるし、むしろ幾らか財産が残るくらいだ…」と平然と言ってのけた人がいた。経済の理屈ではあるのだろうが、こうした親を敬う気持ちが感じられない人には「勝手にしろ…!」という気持ちになってしまう。勿論、お預かりしていた資料はすぐにお返しして、早々にお引き取りいただいた。
そんなにその財産に執着したとしても、その人だって自分が生きている間の僅かウン十年の占有物でしかないものを…。
財産があるが故に見えてくる、人間社会の無常の争いや歪んだ欲望などは、所詮は永続きはしないだろう。 「立てば半畳、寝て一畳」と云う言葉があるが、自分の寝起きする処がそれ以上のものであれば…良しと考えてみることもいいのかな…と、考えさせられることがあります。