数百万円、数千万円、数億円、数十億円と債務金額の精神的な重さは、その債務者が置かれた立場によって大きく異なる。
それぞれに家族構成、家族の健康状態、保有資産の形態や所在、債務内容、債権者の種類などが違うわけだから当然のことだ。
リスクカウンセーとしては、それらの一人ひとりの異なる事情を十分に理解した上で対応しなければならないところだ。
相談者の家に訪問して、それが豪邸であればまだしも、老夫婦が小さな家でひっそりと生活している場合などは心が痛むものである。 特にご本人の責任ではなく、事業に失敗した息子が銀行融資を受けた際の連帯保証人になっているような場合だ。老夫婦が競売で明け渡さなければならない日の為に、ボツボツと押し入れやタンスの中の荷物整理をして様子は見るに堪えないほど悲しくなる。「反対を押し切って始めた事業に、両親まで巻き添えにするな・・・・!」と、その馬鹿息子を怒鳴りつけてやりたい気持ちだ。
聞けば、戦後まもなく東京へ出てきてどうにか生活の目処が立ち、やがて結婚し、この家を建てたのだという。今からフルタイムで働けるようなところはないけれど、週三回の掃除の仕事を見つけてきたという。年金と少々の収入があれば何とかなる…と云いながら、残り少なくなった湯飲み茶碗にお茶を注ぎ足してくださる。 「まぁ〜、自分達が育てた子供がやったことですから……」と。その淡々とした老夫婦の言葉には…私にはその場で返せる言葉が見つからなかった。
リスクカウンセラーとして相談を受けた中で、最も腹立たしく思い、忘れられない悲しいクライアントの言葉がある。「オヤジが高額保証の生命保険に入ってから、毎月の保険料の支払いが高額で大変だけど、オヤジが亡くなって保険金が入れば、債務は一気にゼロになるし、むしろ幾らか財産が残るくらいだ…」と平然と言ってのけた人がいた。経済の理屈ではあるのだろうが、こうした親を敬う気持ちが感じられない人には「勝手にしろ…!」という気持ちになってしまう。勿論、お預かりしていた資料はすぐにお返しして、早々にお引き取りいただいた。
そんなにその財産に執着したとしても、その人だって自分が生きている間の僅かウン十年の占有物でしかないものを…。
財産があるが故に見えてくる、人間社会の無常の争いや歪んだ欲望などは、所詮は永続きはしないだろう。 「立てば半畳、寝て一畳」と云う言葉があるが、自分の寝起きする処がそれ以上のものであれば…良しと考えてみることもいいのかな…と、考えさせられることがあります。
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