「先ずは…奥さんに今までのことを詫びて…次に今後の協力をちゃんとお願いし…それから「夫婦が『力』を合わせて頑張りますから…って、お兄さんたちに何故云えないの…」
「自営業で会社がダメになるのは、少なからず妻にも責任はあるのですよ…」
「離婚するとか…しないとか…夫婦の問題に口を挟みたくはないけど…、4人の子供たちに対する親としての責任はどう考えているの????」
「子供たちにもこの状況をきちんと説明して協力をしてもらうようにすれば、家族6人の『絆』の重みを全員の宝物にできるはずだから…」「子供は宝物ですよ!!!」
リスク・カウンセラーである立場を離れて、口角泡を飛ばしながら夢中になってこんな話を切り出してしまいました。
自分が小学校5年生の頃、夫婦と子供6人、祖母との9人家族が、父が友人の「連帯保証人」になっていたことによってある日突然引っ越しをすることになった。6畳一間のアパートに…。もう50年以上前のことですから、本当のボロアパートです。風呂なし、共同トイレ…。6畳一間に9人が生活するのですから…狭いこと…狭いこと…でも…寝るときは楽しかった…。布団を出した押し入れの中も立派なベッド。兄弟の中の上の二人は押し入れに電気スタンドを引き込んで本を読むことが許されていた…。家事全般は、祖母の指令の下で子供たちが作業をする。アルバイトをする子、ご飯を炊く子、味噌汁を作る子、ぬかみそを出す子、部屋を掃除する子、外を掃く子…。親が留守の時でも…子供たちが協力し合って家を守っていたように思う。
やがて、子供たちが成長し、一人ずつ順に成人になると…家に訪ねてくる周囲の人々からはいつも羨ましがられ…両親はいつもそれが自慢だったようだ。
両親が亡くなる前まで、我が家の仏壇の脇の柱には一枚の短冊が掛けられていました。
『しろかね(銀)も くがね(金)も玉も 何せむに 勝れる寶 子にしかめやも』
と山上憶良の万葉集の中の歌が書かれていました。
柱に掛けられていたその短冊は薄汚れていましたが小さな家の中では…不思議に輝きさえ感じ、両親にとって…仏壇の先祖に掌を合わせることの次に大切な「生きる支え」「生きる原動力」となっていたのではないか…と、懐かしく思い出し目頭が熱くなってしまいます。
吉田松陰の最後の言葉に『親思う心にまさる親心』と詠んだ言葉がありますが、切っても切れない親子の関係は、生涯において例えどんな危機があろうとも…親が子をこの世の何物にも代え難い宝として思う心や、子供が親を尊敬できるようにしっかりと背中を見せて生き抜くことが大切であることをつくづく感じる機会が得られたことに感謝です。
ようやく決心がついたその社長は、近いうちに再び全員で来社されると連絡をしてきたので、ようやく第二幕のステージに移ることができるようです。
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