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Vol.27
再起するには…素直に詫びて…謙虚に協力を仰ぐ

     
  ●再起するには…素直に詫びて…謙虚に協力を仰ぐ  
 

 債務超過になっている中小企業の社長が、会計事務所の先生からの紹介で初めて来社したのが6月初旬だった。「資金繰りが苦しい。金融機関からの借入をしたいのだが…どうしたらいいだろうか…」というのが相談の趣旨でした。
  「スクリーニング」のため5期分の決算書と資金繰り表などの資料を持ってきていただいた。カウンセラーが先入観を持ってカウンセリングをしてはいけないと思いながらも、その社長の話の内容に…気に掛かることがいくつかありました。
@「できない理由」がスラスラと出てくること。
A自己中心的で周囲からの忠告を拒絶していること。
B連帯保証人に依存していることを理解していないこと。
C事業の不採算部門を切り捨てられないこと。
D反省がなく、現実を肯定できていないこと。
細かいことは他にもありましたが、「この問題を解決して行くには奥さんの協力が絶対必要になるから…」と近日中に再び来社していただくことをお願いして帰っていただいた。

 それから…1週間経っても…2週間経っても何の連絡もないまま月末になってしまいました。資金繰り資料などを見ている私は気がかりでなりませんでした。そのまま放置しておくことも考えましたが…先生のご紹介でしたので…我慢の限界を感じ私の方から電話をしてしまいました。連絡をしなかったのは「妻が行きたがらないから…」と云うことでしたが「事態に猶予はないのだから奥さんと一緒に来るようにしてください…」と云って電話を切りました。
  また1週間が過ぎました。ふたたび電話をすると「先生に費用を払っていないから…」と云うのです。「そんなことは二の次でしょう…、近くに奥さんがいるなら…奥さんを電話口に出してください…」と強行に云って…やっと奥さんが電話口に出てくれました。
  連帯保証人の方にも迷惑がかかることは必死の状況だし…「奥さんの立場で…予め準備をしておいた方がいいことがあるので…」と説明しているうちに「もういいんです…私の云うことは何も聞かない人だから…。子供を連れて…もう…別れようかと…思って…いる…」と、涙がこらえきれずに…受話器から嗚咽の声が聞こえてきました。社長と同席しない方が妻の本音を聴けると思ったので…「奥さんが一人だけで来てください…」と云いました。初めは拒絶していましたが…ようやく来社することを受け入れて貰えました。
  翌日の十時過ぎに、奥さんから電話があり午後から来社することになりました。なんだかホッとした気分で…私には、大事な一歩が踏み出せた感じさえしました。どんな人だろう…。
  家庭での夫としての存在、社長としての夫との問題点、妻から見える仕事に対しての問題点、妻自身のことで気がかりとなっていること…など2時間ばかりかけて話を聴くことができた。夫に対する見方は、私がカウンセリングしたときに感じていたことと大きく違うことはなかった。
  ご迷惑をお掛けすることになりそうな連帯保証人(親戚の方達)に、奥さんの口から状況をうまく説明できない…と云うことなので、「私から全容説明をいたしましょう…」と云うと、初めの緊張しきった顔から安堵の表情に変わりホッとしたようでした。帰り際に「先生には費用も払えなくて…本当にすみません…」と、恐縮しながら小さく頭を下げて帰って行った。

 5日後の夕方6時、社長、妻、社長の兄弟、妻の兄弟にそろって事務所に来ていただいた。債務超過となった会社の実態を説明し、一刻でも早く現実を理解していただき何らかの行動を起こさなければいけない状態であることから説明をはじめました。それぞれの兄弟にも同席していただいたのは、銀行やノンバンク、街金融などからの借入金に対して連帯保証人になっていることが分かったからなのです。
  一人の兄弟は自営業ですから、中小企業の借り入れがどんなものかはそれなりに理解できているとしても、一方の兄弟はサラリーマンですから心配でした。自営業の資金繰りや街金融から借入金の詳細については知る由もなく、私から会社と社長個人の債務の全容を説明するまでは自分が保証人となっている借入金だけだと思っていたようなのです。
  連帯保証人ですから、会社と社長が破産の申立てをすることによって債権者は真っ先に連帯保証人に向けて取り立てを請求することになるわけですから、予めそれを理解しておいて心の準備をしておいて欲しかったから同席をお願いしたのです。

 
     
  ●しろかね(銀)も くがね(金)も玉も 何せむに
   勝れる寶 子にしかめやも
 
 

 「先ずは…奥さんに今までのことを詫びて…次に今後の協力をちゃんとお願いし…それから「夫婦が『力』を合わせて頑張りますから…って、お兄さんたちに何故云えないの…」
  「自営業で会社がダメになるのは、少なからず妻にも責任はあるのですよ…」
  「離婚するとか…しないとか…夫婦の問題に口を挟みたくはないけど…、4人の子供たちに対する親としての責任はどう考えているの????」
  「子供たちにもこの状況をきちんと説明して協力をしてもらうようにすれば、家族6人の『絆』の重みを全員の宝物にできるはずだから…」「子供は宝物ですよ!!!」

 リスク・カウンセラーである立場を離れて、口角泡を飛ばしながら夢中になってこんな話を切り出してしまいました。
  自分が小学校5年生の頃、夫婦と子供6人、祖母との9人家族が、父が友人の「連帯保証人」になっていたことによってある日突然引っ越しをすることになった。6畳一間のアパートに…。もう50年以上前のことですから、本当のボロアパートです。風呂なし、共同トイレ…。6畳一間に9人が生活するのですから…狭いこと…狭いこと…でも…寝るときは楽しかった…。布団を出した押し入れの中も立派なベッド。兄弟の中の上の二人は押し入れに電気スタンドを引き込んで本を読むことが許されていた…。家事全般は、祖母の指令の下で子供たちが作業をする。アルバイトをする子、ご飯を炊く子、味噌汁を作る子、ぬかみそを出す子、部屋を掃除する子、外を掃く子…。親が留守の時でも…子供たちが協力し合って家を守っていたように思う。
  やがて、子供たちが成長し、一人ずつ順に成人になると…家に訪ねてくる周囲の人々からはいつも羨ましがられ…両親はいつもそれが自慢だったようだ。
  両親が亡くなる前まで、我が家の仏壇の脇の柱には一枚の短冊が掛けられていました。

 『しろかね(銀)も くがね(金)も玉も 何せむに 勝れる寶 子にしかめやも』

と山上憶良の万葉集の中の歌が書かれていました。
  柱に掛けられていたその短冊は薄汚れていましたが小さな家の中では…不思議に輝きさえ感じ、両親にとって…仏壇の先祖に掌を合わせることの次に大切な「生きる支え」「生きる原動力」となっていたのではないか…と、懐かしく思い出し目頭が熱くなってしまいます。
  吉田松陰の最後の言葉に『親思う心にまさる親心』と詠んだ言葉がありますが、切っても切れない親子の関係は、生涯において例えどんな危機があろうとも…親が子をこの世の何物にも代え難い宝として思う心や、子供が親を尊敬できるようにしっかりと背中を見せて生き抜くことが大切であることをつくづく感じる機会が得られたことに感謝です。
  ようやく決心がついたその社長は、近いうちに再び全員で来社されると連絡をしてきたので、ようやく第二幕のステージに移ることができるようです。