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Vol.20
生きていることって…
本当に素晴らしいはずなのに…

     
  生きていることって…
     本当に素晴らしいはずなのに…
 
 

  「オギャー…!」と病院の廊下まで響きわたるような産声をあげてこの世に小さな命が生まれ出る。暗い母親の胎内で呼吸もせず永い時を過ごして、この地球上の大気にふれた瞬間…口や鼻の呼吸器官に詰まっていたものを一気に吐く(呼)と云います。
  その時…「オギャー!」と大きな声を出し…この初めて息を吐く瞬間が人間の呼吸の始まりです。だから…人間の「呼吸」はまさに文字通りで息を吐(呼)くことから始まり…逝くときは息を吸って(引き取って)亡くなるのだと云います。
  家族の期待を一身に浴びながら大切に育まれ…そして社会の多くの人々に守られ人格を形成し…成長し…、やがて家族を持ち…小さな命の誕生を待ちわび出世を祝うときが来る。人は営みを繰り返す。 何十年も…何百年もの間…繰り返し繰り返し同じようにして今日があります。その世界を超えた人々には、辛いときもあった。悲しいときもあった。嫌なときもあった。苦しいときもあった。怒るときもあった。寂しいときもあった。不安もあった。不満もあった。でも…少しでも自分にとって明日への小さな希望があればこそ…殆どの逆境を切り抜けることができた。
  「この世の中に自分を必要としている人がいる…」必要としてくれるその人は、家族なのか…恋人なのか…友人なのか…仕事仲間なのか……。自分を求めてくれる人が何処かにいるのだ…と想うだけでドキドキしてくるものです。
  そうだ、その為には…今日は何をしようか…。明日は何をしようか…。来週は…。来月は…。初めは小さかった、自分を必要としてくれる人のために何をしようか…といった「喜ばれたい…」と思う気持ちから、生きているからこそ感じられるもの…大げさに言えば接する人の対応一つでその人に「生きる目標」のような何かが見つかるように思うのです。

 
     
  誰もが感じているはずの火宅無常の世界なのに…  
 

 今までに5人の自殺者の家族と逢い相談を受けたことがある。残された家族にしてみれば「何故相談してくれなかったのか…」「仕事も身に付かず働こうとしなかった…」「一人で部屋に籠もっていた…」などと故人について情景を思い浮かべ話してくれる。
  私は精神科医ではない。「リスク・カウンセラー」と称しているが「心理カウンセラー」でもない。ある瞬間には自分が鬱病であったのかも…と思い起こすこともある。そんな自分が、今までに百数十人の債務超過や家族問題などで苦しんでいる人と接してきました。
  そして、自分自身も破産した会社の社長としての体験を持って七転八倒しながらも多くの人々に励まされ…支えられて「火宅の人生」を送ってきた。性格に云えば、今も「火宅の人生」のまっただ中にいる状況なのでしょう。
  だからなのか…自分でも明確には言い切れませんが…、今では息せき切って駆け込んでくる「困っている人」の話を冷静に聴くこともできるし、何を聴いても驚いたり一緒に慌てふためいたりしないで主訴に沿って聴いていられるのかも知れません。
  もともと社会そのもの…生きることそのものが煩悩に振り回され喜怒哀楽と不安で燃えさかっているようなものでありますし、諸行無常と云うには大げさかも知れませんが、私たちが生きるこの混沌とした社会が凄まじい勢いで変化していることに気づかされ、只…ただ自然体で流されていくことも一つの生き方としてあるような気がしてきました。

 倒産した中小企業経営者や債務超過で自殺した人の訃報を聞くと本当に悲しくなります。その自殺した人が特別の人ではなく、自分をも含め、自分たちの周囲にもその予備軍となる人々がいると云うことを各自が認識したとき、家族や、友人、知人と接するときの態度が変わってくるのではないでしょうか。
  たとえどんなに小さなことであっても、自分に対して何かをしてくれる人がいるとしたら、心から「ありがとう」と感謝の意を伝えられるように心がけることが大切なことだと心底から感じられるといいですね。気持ちを言葉にすることで、自分にしてくれたその人の心に「喜び」「希望」「目標」のようなものが湧き上がり、生きることのすばらしさが感じられるようになると思います。

 
     
  沈んでいる人が…浮かび上がった時に空を見る?  
   債権者のことを思い起こすと、自分が会社を倒産させてしまったという過去を声高に云うことは差し控えるべきであると思う時もあります。
  しかし一方では、いま順調に事業展開していると思っている経営者には自分と同じ轍を踏んで欲しくない…と思うし、無念にも事業の継続が危ぶまれたり…危機的状態にある経営者には「再起への道」があることを知って元気を取り戻して欲しいと思ってしまうのです。
  特に、債務超過で苦しんでいる人や、経営に行き詰まって逆境に立たされたと感じている人に対しては「逆境に感謝」と、考え方が変わるようにカウンセリングには十分に時間をとっています。逆境に立ったときこそこれからの夢を実現するための小さな一歩があると信じて欲しいからなのです。

 誰もが自分が転んだときの痛みを感じているからこそ、幼子が転んだときに慌てて駆け寄って、転んだ時のその痛みを共有しながら…転んで傷ついた部分をそっと撫でてあげているのだと思います。そうして「チチンプイプイ…痛いの痛いの飛んでいけ−」と幼子と一緒になって天の神様(?)に向かって手をかざしました。今でも同じような光景を目にします。

 そうなんです。沈んでいた人が水面に浮かび上がった瞬間には溜まっていた息を一気に吐き、何故か天を仰ぎながら大気から大きく息を吸い込むのです。「溜まった息を一気に吐き出す…」だから思いっきり新鮮な空気が吸い込めるのです。その時こそ、「生きている…」と喜びを感じる瞬間なのではないでしょうか。

 我田引水かも知れませんが、「天」「天を仰ぐ」という行為が、再起への道のヒントが何処かにあるように思えてならないのです。
  それと…鬱のときは下向き加減になり…天を仰ぐことさえ躊躇いがあるのは何故でしょう。

 皆さんはどう思われるのでしょうか。