「高い山だからと云うだけでそれを立派だと見るのはどんなものか…。それよりも、緑の葉が生い茂る大きな樹々がしっかりと根を張り、土中には豊かな水を蓄えていてこそ、本物の山として立派なのだ…。」という意味で、昔、子供達が寺小屋で勉強したときに、一番初めに朗読していた「実語教」という教典の教科書にも書かれていたそうです。
最近になって、自分が「清算貸借対照表」に関する資料をまとめる機会が多くコツコツとキーボードを叩いているうちに、じわ〜っと思い出してきた文言なのです。
ずいぶん前にこの文言を聞いた時のことです。寺小屋で教本台を前に背筋を伸ばして正座した小さな子供達が、みんなで声高らかに朗読していた文言であると知ったとき、なぜかとても自分が恥ずかしくなった記憶がよみがえってきたのです。
自分が会社を起こしたときも、如何にして大手企業との取引を始められるようになれるか、それにはどうするか…が、自分なりに大きな課題であると信じて事業の拡大に取り組んでいました。
資本金200万円の株式会社の設立は、本を見ながら公証人役場や法務局へ行って登記申請し、木造アパートの2Kの部屋を事務所として借り、廃車予定のサニーバンを8万円で車検を取ってもらい、机と椅子を揃えて手元に残ったのが50万円足らず…という状態のスタートでした。
でも、自慢だったのは経理の帳面も毎日こまめに記帳していたことでした。1円の計算が合わなくても気になりました。買い物するのも手元の現金を確かめてからでした。預金通帳の残高が少しずつ増えていくのが楽しみでした。
大手企業との取引口座も順調に推移し3年後には10億円ぐらいの売上になっていた。
そして10年後、整理せざるを得なくなった頃の自分の会社は、売掛金残高も、在庫も、仕掛品も…、いったいいくらの金額になっているのか、社長の自分には正確な金額が分からなくなっていました。工場の在庫品にしても、すぐに納品できてお金に替わるものなのか…、それとも、それは不良品であっても再生して商品することはできないものなのか…、現場の担当者に尋ねても明確に分からなかった。責任者の考えでは再生することは手間がかかり、かえって費用がかさむから…という意見であったのです。それも一理あったのでしょうが…。
「もったいない」ような事が沢山あったと記憶しています。
営業の売掛金にしてもそうでした。納品して売上計上した後に不良で返品されていた商品が、何ヶ月も処理されないまま売掛金のまま計上されていたのです。
いま思うと、それらの問題の一部が露見したときに徹底的に資産を洗い出し、本当の資産を確かめておくべきだったのですが、金融機関からの借入計画などを考えると、財務の修正処理ができなかったのです。知っていながらそのまま放置していたことを深く反省しているのです。
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